先日我が奈良県で、父親母親が我が子3人(10才、9才、8才)に万引きをさせていた犯行が発覚しました。チャップリンの映画に、子供が石を投げて窓のガラスを割り、父親のチャップリンがガラス板を背負い、例の歩き方でさも偶然かのように「ガラス屋です」と現れるのがありましたが、今回の事件を「チャップリンのようだ」と喜んではおれません。
最近は小学校ですら荒れている教室があると聞きます。家庭が悪い、いや教師に問題があると意見が分かれるところですが、私はほとんどの場合は家庭に問題があると思っています。
今回の事件、母親は犯行を認めていますが、父親は「親を思って、子どもが勝手にやっただけ」と否認をしています。保安員に見つけられた時、リュックから焼酎やチーズなどの父親のための酒と肴が出てきたそうで、母親が「おかずもお願い」とリュックを渡したのだそうです。この両親は自分たちの生活しか考えられない状況だったのでしょうか。将来この子達がどんな成長をするか考える余裕すらなかったのでしょうか。本質は根が深いようです。