いじめを苦にした自殺が続き、社会問題としてマスコミで盛んに取り上げられています。児童だけでなく先生も校長・教育委員会のいじめで自殺する世の中、文部科学省が悪い、教育委員会が悪い、先生が悪い、いや家庭が悪いとそれぞれの立場で議論がされています。結局はつまらない個別事例は別にして社会全体が悪いということでしょう。一見中立を装うマスコミも、子供を対象とした商品を作る会社、風潮を作り上げて利益を得る会社などなどもここからは除外されません。
子供のしつけがなっていない親、虐待する親を社会に送り出したのも教育ですし、ダメ教師とされる教員を育んだのも教育、お役人を作り上げたのも教育です。先日のペンシルベニアの小学校での女子児童5人の射殺事件で、アーミッシュの女子児童が年少の子をかばって、「私を撃ってください」と名乗り出、別の子もそれに続いたとの話と対比すると、全ての原点は教育だと強く認識します。
先生というのは一目も二目も上の存在でした。子供人権の主張から今や対等、いや生活のためにしがみついている点では対等以下かも知れません。人権論者の皆さん、お役人の皆さん、教育に関してはちょっと目をつぶっていただけませんでしょうか。先生達を保身から解放していただけないでしょうか。もちろんその上で先生達の淘汰はされるでしょう。今の生徒が成長して教員となり流れが本流となるまで、永い目で見てはいかがでしょうか。