消えゆく運命

 ご存じでしたか、鼻濁音(びだくおん)。今朝の朝日新聞の記事「鼻濁音 消えゆく運命?」で、私は初めて知りました。息を鼻に抜いてやわらかくする発声とのこと。「学校」の(が)の音は通常で、「鏡」の(が)の音は鼻濁音で発声するのだそうで、アナウンサーには必須とあります。
 記事を読んで、私も新聞を前に「学校」「鏡」と何度も発声してみましたが、違いが判りません。ということは私の中では運命どころか既に消えているようです。近畿では鼻濁音の発声をしている人が4.3%とありますから、無理もありません。
 人が生を受け言葉を話すようになるのは、周りの環境に依存します。66.2%の東北や60.9%の北陸も、人の交流によってやがては消えてゆくでしょう。残そうとするならば、家族や周囲とは別にアナウンサー的な教育をすることでしょう。その前に残す価値が有るか無いかですが、私がむしろ残して欲しいのは言葉の使い方です。例えば「ぜんぜん」は否定語の前に付く修飾語のはずですが、「ぜんぜんできる」なんて聞くと、頭の中で血が逆流しそうです。これもまた消えゆく運命なのでしょうか?

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