旅行記 その10

 劣悪な生活レベルを見せられ文化ショックを受けて、我々は空港へと向かいます。降り立った時の何もないイメージに比べ、荷物検査も受けますし、しゃれたレストランもあります。ホーチミンへの飛行機は来るときに比べビジネスクラスも付く少し大型、でも満席です。日本人はごく僅かで、白人が目立ちます。
 ホーチミンに降り立つと、まずは人の多さに驚きです。ガイドを捜すのも、出口に多くのガイドが輪になってプラカードを掲げていてたやすくありません。今度のガイドはブーさん、28歳。30分のホテルまでの間、驚かされるのはバイクの多さです。カンポジア第三の都市、シェムリアップもバイクは多かったですが、その比ではなく、800万人の人口が頷けます。ベトナムの人口の1割近くがこの市に集まっています。赤信号の手前は隙間なくバイクで埋まっており、運転もかなり強引、同方向に進む車の前を右側から追い越しての左折も平気です。バスの中から我々が「あぶない、あぶない」、ブーさんは「大丈夫、大きい方が勝ち」。
 時間があるので寄り道して、サイゴン時代の旧大統領官邸を車窓から眺め、中央郵便局を見学します。前には煉瓦造りのサイゴン大教会がそびえています。あれだけの戦火であってもフランス文化を偲ばせる建物を残したのが、戦争という破壊活動の中での数少ない良識でしょうか。ホテルはサイゴン川に通りを挟んで面した、RENAISSANCE RIVERSIDE。部屋の窓の直ぐ下にフェリーの船着き場が見えます。まだ終業時間には間のある時間帯にもかかわらず、前の道はバイクと車の交通量は多く、フェリーからもごそごそとバイクが降りてきます。サイゴンが陥落し昨年が30周年、ドイモイ政策が始まって20年、急速に伸びゆくベトナムの一端を覗くようです。

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旅行記 その9

 水は灰色、異臭を放っています。生活排水がすべてここに流れ込んでいるのです。船を操るのは若い男性と手伝いの子供の二人。後方長く伸びたプロペラシャフトを水中に下ろし出発。船の混雑で動き出すまでがなかなか。動き出したかと思えば、スクリューにビニールシート類のゴミが絡まって停止。水路の両側のマングロウブの下枝にも、ビニールの切れ端がいっぱいついています。
 船は水路をスピードを上げ、戻り船とのすれ違いではスピードを下げして進みます。それでも水面ぎりぎりの小さな船には相手の水しぶきが飛んできます。水の色は茶色に変わり、筏の上に乗ったヤシの葉覆きの住居が見えてきます。エンジンの修理をしたり、豚を飼っていたりしているのが見られます。もちろん本業は漁師です。学校までもがひときわ大きく浮かんでいます。
 マングローブの水路を抜けると広大な湖が広がり、振り返ると岸辺周りに粗末な屋寝付きの筏が数多く点在します。ボートが着くのはひときわ大きな筏。観光客向けのおみやげやさんです。餌を蒔かれて、ナマズがその餌に群がっています。秋篠の宮もナマズの研究でこの地を訪れられたとか。この湖に生息するワニの生け簀もあり、鰐皮ようとして中国に出すそうです。遙か遠くの湖の中程に鉄塔が見え、乾期のさなかはそこまでこの筏も移動するとか。雨期には澄んでくる水も今は茶色に濁っているのですが、槽に溜め沈殿させて上澄みを飲み水にも使うそうです。が、「ほれ、こんなにきれいになります」と示された水もとても飲めそうにはありません。
 この観光筏の周りにもたらい状のプラスチック容器にのって櫂で上手に進みながら、指を一本立て「ワンダラー」と子供が寄ってきます。戻ろうとボートに戻っても周りにその子供達や、小さなボートの舳先から女の子がお金をせびります。その後ろにはその子達の母親とおぼしき女性がいて、なんとも身につまされる光景です。

旅行記 その8

 三日目、ホーチミンへの移動日。午後1時半の飛行機までの時間、ガイド、トロイさんの立案で大きな湖、TONLE SAP(発音を聞きましたが忘れてしまっています。SAPとは淡水という意味だったでしょうか)での水上生活者の見学です。(現地に来て初めて何をすると決まるのが我々の旅行です) 乾期の今は小さく(それでも琵琶湖の2~3倍)、水はメコン川に流出していますが、雨期になると逆にメコン川からも水が入ってきて、乾期の大きさのさらに3倍にも巨大化するのだそうです。それにあわせ、水上生活者もその都度場所替えての生活です。
 シェムリアップ市の中心を過ぎ、土手の上につくられた地道を、砂煙を上げながら車を進めます。遺跡とこの湖の観光はセットになっているようで、同方向に向かう車が何台も列をなしています。我々の前の車には「伊豆シーワールド」の文字が。ナンバープレートがなくとも平気で、実は我々の乗る車にもついていません。「税金払ってるから大丈夫」はトロイさんの弁です。
 土手から2~3m下がった平地は、所々に沼地はあるものの広大な水田となっています。雨期には水につかりその姿はなく、この気温にもかかわらず、米は一毛作というのも頷けます。土手との高低差を木で粗末に脚を組み、その上にヤシの葉で屋根・壁をふいた一間の家が、道を出入り口として並んでいます。砂煙でヤシの葉はすでに赤茶けた状態。途中一度車が止まります。制服を着た人が2・3人いて入場券売場の感じ、漁業組合のような組合が管理していて船のチャーターをチェックしているとのこと(このツアーは25ドル/人)。更にガタガタと地道を走って船着き場に到着です。船といっても細長い小さな木製、そこに10脚ほどの籐の椅子が置かれ、シートの屋根が張られています。そんな船がいくつも狭い水路にひしめいています。船の一艘からは豚が荷下ろしされていて、両足を縛られて計量されるうめき声が悲しく響いています。

旅行記 その7

 遺跡巡りは一日入場券が一人20ドル。必要とて事前に準備した顔写真は、一日だけの場合には不要でした。遺跡近くに車が来ると、道端から人が近づいてきて、あれ物売りかと思えばそれは入場券のチェックなのです。おおむね人数の確認程度ですが、場所によってはパンチを入れたり、券の隅を切り落としたりして確認をしています。
 夕食までには時間があるので、市のマーケットと土産物店をひやかします。市民が普段に利用する市場とのことですが、ゴミはひどいし、臭いもひどく、かなり時代ギャップを感じます。各国の市場を知るメンバーの一人は、「こんなひどいのを見たのは初めて」と感想を漏らしておりました。土産物店は観光地ではどこにでもあるスタイル。ツアー会社と契約して観光客を呼ぶのですが、はなからひやかしの我々相手では、後をついて必死に売り込みをかける女性達が気の毒です。しつこいのはいささかうんざりですが、流暢な日本語を話す彼女たちの努力ぶりには脱帽です。
 夕食はガイドさんのアレンジで、ショーを見ながらのバイキング。ショーはバリ島で有名な、指に長い爪を付けて指先までそらせて舞うダンスです。有名どころの店とみえて、ショーの開幕までにみるみる人で座席がうまります。でもこの手の舞踊はストーリがあってそれを知った上でないと、踊りの仕草も繰り返しで、伴奏のリズムも単調ですので、次第に飽きてきてしまいます。料理にも不平を言うメンバーが多く、それもこれも今日はよく歩いた疲れの性でしょうか。

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旅行記 その6

 遂に来ました、アンコールワットです。タ・プロームと違ってこちらはできるだけ修理を手がけていて、今も日本や中国の援助で修理を継続しています。ただ働いている人がダラダラしているように見えるのは、お国柄でしょうか。
 環濠をまたぐ形の西参道の既に修復されている右側を進むと、西塔門が次第に近ずいて来ます。三つの尖塔の上部はいずれも崩落していますが、それでもここがアンコールワットの楼門だとの威厳を放っています。楼門をくぐると出口を額縁のようにして、回廊に囲まれた中央祠堂の尖塔が目の当たりに見えます。更に参道を進むと左右に経堂があり左側は日本の援助で修理が終わったばかり、新しくはめ込んだ石の色が違うのですが、建造当初はこの色だったとか。参道の左右は今は草原ですが当時は水がたたえられていたそうで、その荘厳さが想像できます。左右にある聖池には僅かばかりの水が残っていて、あの絵はがきで見る逆さアンコールを写真に収めます。
 この寺院はそれぞれ方形の回廊で囲まれた三層構造で、一層目、二層目、三層目と順次階段で上っていく構造です。ガイドさんはまず、第一回廊の見事なレリーフに案内し、説明をしてくれます。神話に基づく彫刻、天国・現世・地獄の図、一部には金箔のあとも残ります。興味を持つ人ならば、ここだけで何日も通い詰めることでしょう。
 昼食後すぐの観光客が避ける時間帯のため、人がうまる回廊も観光客はまばらで、ゆっくりと説明に聞き入ります。が、やはり記憶し切れません。第二回廊を過ぎ、いよいよ最上階第三回廊です。噂には聞いていましたが、目の前の階段はまるで壁、幅もさほどなくすり減っている上に、所々かけたりしています。でもこれを上らなければ来た意味がありません。横の石壁づたいに、最初は案外楽だなと思いながら昇りますが、途中で登り切れるだろうかと不安になってきます。その横をガイドさんが、ひょいひょいと昇っていきます。最後はこのガイドさんに引っ張り上げてもらい、無事達成です。やはりというか、年に何人もの人が落ち、死者も出るそうです。
 登り切った第三回廊の四隅には尖塔がそびえ、中央に位置する祠堂にはひときわ高く尖塔がそびえています。遠くからアンコールワットを見たときの塔は、この五つの塔なのです。
 さて昇ったからには降りねばなりません。でもご安心ください。上った階段とは別に、正面の階段には細いながらガイド棒が付けられています。混雑するときは下り専用となるのだそうですが、込み合っていない今も、順に一列になってその棒を、汗で滑るのを気にしながら、つたって下ります。遺跡の見学の他にひと味違った達成感があるのも、このアンコールワットの魅力でしょうか。

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ぶりっじばんざい

 問題です。

  7      ノートランプのプレイで残り6枚、SのリードでN-Sで5トリック取るにはどうプレイをすればよいでしょうか。
 クラブが3-3の別れであれば簡単ですが、残念ながら2-4です。何度か同じパターンを経験していますので、今回は復習です。
J
A 7 5 2
9 N K
W E  
K 8 4 Q
9 4 S T 8 6 3
T
A 9
K Q J

旅行記 その5

 タ・プローム、ここは駐車場からしばらく徒歩で林の中へ入ります。韓国からの観光客が一番多いとのことですが、その言葉通り、チップを目当てに数人が道端で「アリラン」を奏でています。建造物の石がごろごろと転がるままにされた遺跡に足を踏み入れると、すぐさまカジュマルの木が石造りの建造物に絡みついているのを目にします。遺跡を保存するために逆に木を切り倒せないとのことですが、この文明が自然に飲み込まれていく様は、見事な観光資産です。
 「有名なのはこの先です」 ガイドさんについて進むと、なんと太い幹というか根というか、個々の石組みよりも大きく、建造物に覆い被さる形で何本にも分かれた根を地中へとおろしています。まさに自然のなせる技です。この木は、最初遺跡の上に根付いてそこから幹は上へ、根は下へと伸ばしていくのだそうで、石と石との間に絡まった根はその成長過程を物語っています。枯れた木の上に根付いた若木からするするとしっかりとした根が、3・4m伸びている場所も見かけました。
 歩いた後のビールの美味さを昼食で逃さなかった次は、アキラの地雷博物館。アキラ氏は簡単な道具と素手で、地雷を除去し多くの人名を救っていることで、カンボジアでは英雄です。博物館といっても粗末な建物に処理した地雷、爆弾と写真、英文説明のパネルが展示してあるだけですが、手足だけをねらった小さな地雷、対戦車用の大きな地雷が処理されてうずたかく積まれているのを見ると、戦争悪と戦争のない日本のありがたさを感じます。外のテントではビデオでアキラ氏の地雷処理の様子が映され、数少ない訪問者の内の白人が見入っていました。ビデオの最後の方で、片足の子供達が松葉杖を使いながら、サッカーに興じ、その姿は屈託なく、転びながらもボールを追いかけている様子が映されています。地雷は中国製、アメリカ製、ロシア製の順に多いのだそうですが、武器輸出国の人はどういう気持ちでこれらを見ていることでしょう。

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旅行記 その4

 二日目、今日は工場見学に次いでメインの遺跡の見学。時差2時間は実に有意義で、朝7時半のモーニングコールは日本時間9時半、でもゆっくり寝ているつもりが、いつもの習慣で5時前には目が覚めてしまいます。そのぶんゆっくりとバイキングの朝食を取って9時集合、ガイドさんの案内でいざ出発です。
 ホテルからアンコールワットへは車で20分程。人工の環濠を廻り正面を通りすぎて先にアンコールトムに向かいます。アンコールワットは正面、西塔門の名の通り西向きのため、昼過ぎからの方が日射し具合がよく、暑さを避けて午後3時くらいからが観光には適しているようです。ちなみにアンコールワットは「大きな寺」、アンコールトムは「大きな都市」の意味とのこと。
 地道を走りしばらくして、アンコールトムの背の高い南大門が見えてきます。左右にはいくつもの石像、門の上部四面には大きく菩薩の面が刻まれていて、小さな枠でみる写真よりはるかに迫力があります。この石像郡、ナーガ(大蛇)を神々と阿修羅達が引き合う神話に基づいているのだそうです。後でガイドで知って、もう少しよく見ておけばと残念です。
 車がやっと通れる南大門から、このアンコールトムの中心に位置するバイヨン寺院までは200m程、車窓から象の上で揺られて移動する観光客が見えます。バイヨンの壁面には見事なレリーフ、観光客それぞれがガイドの説明に聞き入っています。船での戦闘シーンや普段の生活など。ワニに足を噛まれているシーンが気に入って、写真をパチリ。説明もそこそこに、いずれの塔にも彫られた四面の菩薩を目指して、すり減った石の上をゲートあり、ひらけた場所ありの箇所を上へと進みます。菩薩の面は柔和なほほえみをたたえていて、クメールの微笑と呼ばれますが、最も優しげな微笑の像は撮影スポット。我々もこの場は逃しません。
 おみやげ物売りの子供達をすり抜け、待ってくれている車に乗り込みます。彼等にはどの人が買ってくれそうかが分かるのか、メンバーの一人は必ずつきまとわれています。ガイドに載っている癩王のテラスや象のテラスは車窓からの見学で、巨大カジュマルの木に押しつぶされそうな遺跡、タ・プロームへと向かいます。

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旅行記 その3

 空港からしばらくするとホテルまではほとんどが地道、それに比べ両側には新しく立派な建物が並びます。建築中の物もあり、その全てがホテル。アンコールワットがなければこれほどの建築ブームはないことでしょう。お金のある人は、今土地を買って値上がりを期待しているとのことです。
 我々のホテルはLE MERIDIEN ANGKOR。アンコールワットに近い比較的新しいホテルです。シャワーを浴びた後は、郷にいれば郷の料理、夕食はガイドの案内でカンボジア料理です。どんな奇異な食べ物が出てくるかと思いきや、野菜炒めやインスタントラーメンの様な焼きそば、薩摩揚げに似た食べ物、鯖の焼き物、ワカメのスープなど、期待に反したかどうかごく普通の中華風料理です。ごはんは例の長粒米、ぱさぱさとして日本のお米を食べているものにとっては、決して美味しくはありません。
 四人ほどで給仕をしてくれましたが、その男性、女性の月収は5000円程とのこと。すぐにお金のことに気が行くのは我々の悪いところですが、食事の支払いは、ガイドさんも入れて九名、ANGKOR BEERを飲んで食べて、115ドル。これが高いか安いかはちょっと判断に困るところです。
 品を落とすかもしれませんが、もう少しお金の話を続けると、ガイドのトロイさん、外国語が話せることはここではエリート、月収は旅行客の多い乾期で、給料+案内(10ドル/日)で5万円。雨期で3万円とのこと。チップは個人の申告外収入で、他にも案内するレストラン、土産物店などからのリベートもあるでしょうから、28才独身で、中古で200万円はするトヨタ カムリを所有する高給取り。でもガソリンがリッター1ドルと他の物価に比べかなり高いため、もっぱら12万円ほどのバイクを愛用とのことです。

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旅行記 その2

 シェムリアップへの便も前の便にあわせて遅れている模様。その間に合流予定の福岡からの便、東京発と思われる便が着き、ツアー添乗員達が旗やプラカードを掲げて、それぞれの一群を案内しています。明日はこの人達と多分ご一緒することになるのでしょう。
 ホーチミンからシェムリアップまでは、横二列二列の小さな飛行機、同じくベトナム航空です。空路50分、眼下に山は見あたらず平坦な土地、大きな川や湿地帯がやたらと目に付きます。飛行機サイズの懸念に及ばずたいした揺れもなく無事到着です。飛行機を降り皆についてぞろぞろと建物に向かいます。皆んなが向かうのでそこが入り口とわかる規模の空港です。
 ベトナムと異なり、カンボジア入国にはビザが必要で、この場で取ることができます。事前の情報通り、グループの我々をめざとく見つけて近づいてきた係官に、チップ20ドルを手渡します。すると旅行代理店が事前に作成してくれていた申告用紙と写真一枚ですぐに受付をしてくれ、3・4人の係官が流れ作業でパスポート確認の完了です。ここで本来のビザ費用の20ドルを各人が支払い、束になった我々のパスポートは次の係官に回されます。ここでまたまたその係官がズボンのポケットの横で指を動かし「CHIP、CHIP」、で20ドル。パスポートの一ページにビザのシールが貼られ、いくつかのはんこが押されて完了。荷物の確認も何もなくあっけなく通過、流暢な日本語の現地ガイドさんの出迎えを受けます。終わってみればビザ費用は一人あたり25ドル。それでも日本で取得すると4~6千円ですから、ここで取る方がお安くつく勘定です。

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