2011年のアナログテレビ放送終了まで保ってくれるだろうと期待していたテレビが、先日突然壊れました。15年目。朝の目覚まし放送がなくなりますし、やむなく買い換えです。
今は薄型、想う画面サイズから液晶と決めて、量販店へ。「これにしよう」と店員さんと話すうち、「○○円しか違わないならこっちにしよう」と人の性、結局ワンサイズ上になってしまいます。
帰宅し、設置されたテレビを見ての第一印象、「デカ!」 実は部屋が狭いのか。 遅れている話ですが、今のテレビは「B-CAS」カードなるものをを差し込まないと動かないのですね。画面設定などの情報を書き込むといいますが、有料放送の管理が目的の気がします。
ノイズが除去されて、デジタル放送は確かに画面が綺麗です。ところがコーディング、デコーディングの影響で、隣部屋のアナログテレビとはエコーのように、1秒ほど遅れます。奇しくも始まった「緊急地震放送」、秒を争う情報でこの遅れは大丈夫か、と心配してしまいます。
チャンネルも増えて、もうリモコンと対応が付きません。我が家の地デジ対応は、壁に貼った「放送-リモコン対照表」です。
教科書問題
第二次世界大戦末期、沖縄市民の集団自決への日本陸軍の関与が次年度教科書から削除されたことが問題視されている。その事実が合ったか否かは私には分からない。しかし父から子へと話を受け継いできた沖縄の人の気持ちは分かる。健全な人ならばどんな状況であれ「生きたい」と思うのが常だ。手榴弾での自決もあったと聞くが、そもそも手榴弾など軍の関与がなければ手に入らない。
腹立たしいのは、渡海紀三朗文部科学大臣の発言。「教科書会社から訂正申請があった場合、中身を審議会で検討してもらわなければならない。」 そもそも教科書会社から挙がってきた原稿を、所轄の教科書用図書検定調査審議会にかけ、その提言に沿って文言の訂正を強いたことではないのか。
問題が起これば素知らぬ顔で教科書会社に投げる。「秘書が、・・」 「事務所が、・・」 「私が関与しないところで、・・」 毎度の事ながら、実に腹立たしい。
Joost
あのJoost(※1)にパブリックβ版が出ました。以前は招待が必要で、私も招待をいただき見られるようになったのですが、3日程でパスワードが受け付けられなくなり、パスワードを確認しようと登録したメールアドレスを入れても「そのアドレスは登録されていません」と断られていましたから、待望のβ版です。
早速専用ソフトをダウンロードしたのは言うまでもありません。以前と比べずいぶんとチャンネルが増え、昨日の今日ですからまだどこにどんな番組があるのかつかみ切れていません。でもチャップリンやキートンのサイレント映画は健在でしたし、アルカトラズからの脱走紹介番組では久しぶりにアル・カポネの顔にお目にかかります。私の世代には懐かしいテレビ西部劇ボナンザもアップされています。いろんな番組を早い応答で全画面で見られるのですから、コマーシャルが増えたのもやむを得ません。
ダウンロードし登録を済ませると、noreply@joost.comから確認手続きのメールが届き、そのサイトに飛ぶとエラーを起こしますが、番組を見るのには影響は無さそうです。ソフト、ログ等は全てCドライブに入るようなので、Cドライブに余裕のある方は是非お試しください。今までのネット上のビデオは何だったんだろうと思うくらい快適で、技術の進歩に感心させられます。
(※1) http://www.joost.com/
みせしめがひつよう
<社会保険庁などの職員による年金保険料などの横領が相次いでいる問題で、福岡県警小倉南署は3日、社会保険事務所の元係長を業務上横領の疑いで逮捕状をとり、全国に指名手配した。一連の年金横領問題で、逮捕状が取られたのは全国で初めて。 >
ようやく、といった感がありますが、
どんどん公務員の個人としての責任を追及していったらいいんですよ。
業務上横領だけじゃなくて、特別背任とか有印私文書偽造とか。
少々問題があっても組織が守ってくれる、前任者も同じようなことをしていた等、
赤信号みんなで渡れば的な小悪党に対しては
ぬるい処分ではなく刑事告発してやればまともな抑止力になるというものです。
ただ、ギャンブルの禁止くらいは徹底させておいた方がいいとおもいます。
借金苦から公金に手を出すというのは典型的なパターンです。
OLPCに学ぶ
マサチューセッツ工科大学が目指すOLPC(子ども1人にコンピュータ1台の普及『One Laptop Per Child』)はニュースの話題からしばらく遠のいていましたが、台湾Quanta Computerが製造を引き受け、既にアメリカで販売が始まったとのことです。当初の100ドルパソコンの目標には至りませんが、2台で399ドル、1台は購入者に、もう1台は発展途上国の子供に与えられるというシステムです。
パソコンなど見たこともなければ触ったこともない、もちろん買うことなど思いもよらない発展途上国の子供達に、教育教材の一つとして一台ずつ与えようとの構想、このような発想は日本の文部科学に携わる方々や経済界で成功された方々から生まれうるでしょうか。私にはとても生まれるとは思えません。むしろ「もらった子供達がそれを売って食べ物に代えるよ」と揶揄するくらいでしょう。
折しも今日は郵政民営化のスタートの日、地方が切り捨てられるのでは、との危惧はこの法令の制定時点からくすぶっています。世界の隅まで目を向ける事はできなくとも、たかが日本国内のことではないですか、危惧など払拭する英知とサービス精神を貫く姿勢を示してもらいたいものです。
フジアザミ
日本の霊峰・富士、昔から一度は登ってみたいと思っていたのですが、こう足腰が弱ってくるともう無理かもしれません。というか、高所恐怖症の私にはのっけからダメだったかもしれません。
その富士山の弱みの一つが、大沢崩れです。毎年一万立方メートル程の崩れがあり、一度に数万立方メートルの崩落もあるというのですから、あの優美な姿が徐々に壊れていく事を思うと心配です。そんな中、読売新聞に、「富士山の大沢崩れ、アザミが防止」の記事を見ました。
10年前に種をまいたフジアザミが根付き、その箇所での崩落の進行が止まっていることが確認されたとのこと。わずか地上1m足らずの菊科の植物が2mもの根を張り土壌の流出を防いでいるというのです。種子の発芽率も高いそうで今後は更に高所での検証をされるそうです。
自然の摂理上、山という山は崩落の悩みを抱えています。草花が土砂の流出を止め、それが他の植物を呼び込み効果が倍増される、崩落の悩みを抱える山々にとっては朗報です。わざわざ人の手で土壌の流出を招く事を行っている人々に比べ、こういう地道なところで努力をされている研究者の方々には頭が下がります。
新聞記者
昨晩、「奈良県桜井市の纒向遺跡で、これまでの例を約400年さかのぼる3世紀前半日本最古の木造仮面が見つかった」のニュースが流れます。
「おお、これだ!」
当店の国道を隔てた前には、桜井市の埋蔵文化財センターがあります。普段は閑散としているのですが、昨日は黒塗りの車が何台も駐まり、その運転手達が手持ち無沙汰で暇そうにおしゃべりを続けています。お客さんがお一人みえて、素麺を買いがてら、「側の空き地に車を駐めておいて大丈夫でしょうか? この前に来たんですが、駐車場がいっぱいで駐められなくて。 実は、○○新聞なんです。カメラマンも連れて来たんですが、駐められなくて。」
「何かあるんですか? 様子が変だなとは思っていたのですが。」
「今はちょっと。夕刊見てもらえば解ると思いますが。」
いずれ解ることとはいえ、記事が出るまでは明かせられないのですね。こういうのも記者魂の一つなのでしょうか。
しんないかく
大方の予想通り福田康夫氏が自民党の総裁に選出され、内閣総理大臣に就任しました。
個人的には麻生太郎氏が首相になった方が面白い展開になったのではと思いますが、まあ無難な方に大勢が流れたと思われます。
組閣人事も実に無難で、ほとんどの閣僚がそのまま再任となりました。
「影の人」を自認するくらいの裏方人間が表に出てきたとき、どのようなカラーを出していくのでしょうか。
あるいは、調整役に徹するのでしょうか。
HERO
映画館に足を運んで観る映画といえば洋画、評判になった日本映画はレンタルDVDで、がパターンでしたが、久しぶりに映画館で日本映画を観ました。話題の「HERO」です。言わずと知れた家内のお供。人気テレビドラマの続編で、私には話の繋がらない部分もありましたが、わかりやすいストーリー展開です。
観客の入りは十分ではなかったですが、やはり女性が中心。「女性は何歳になってもイケメンに弱いね。おばさんになっても『キャーキャー』と追っかけするのは男には解らん」と話しかけると、「それで良いのよ。だから変なストーカー男が多いのよ。」
そんなものなのでしょうか?
映画についての感想も書かないといけないですね。--こんな検事さんなんていない(だからドラマになるのでしょうが) --いくらトレードマークといえ、場面の季節、革のジャンパーは合わない --中井貴一は良い役者になったなぁ
私のこのドラマへの思い入れはこの程度ですから、一笑に付してください。。
道徳
欲がある限り人の幸福というものには上限はないとしても、家族仲良く暮らすことがその根元だと思います。それには相手への思いやりが必要です。オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」のように、贈り物がうまくいかなかったにせよ、お互い自分への思いやりを感じることで二人は幸福感に満たされます。思いやりがあれば、自らの子供に虐待を加えたり、殺めたり、また自宅に放火して家族を死に至らしめたり、父親を鉈で殺害したりなどの事件は起こり得ないでしょう。
そんな中、中央教育審議会が「道徳」教科の見送りを決めたそうです。押しつけるべきものではなく、親と子、先生と生徒の関係の中で自然と身につけていくもの、との意のようですが、今の世の事件を見ていると「そんな生ぬるいもので大丈夫か」との疑問が湧きます。
道徳教科がなくなった世代が親となり、教師となる現代、子供達は何を身につけていくのでしょうか。むしろ復権して、教えられた子供達から親が学ぶべき、そんな気がします。
