便利の反面

 誰もが何らかの楽器を楽しんでおられると思います。私は自己流で学生時代にはクラシックギターを、6弦を同時に抑えるのがきつくなった今はウクレレをかじっています。
 ウクレレを始めて、初めて普通のオタマジャクシではないTAB譜という楽譜に出会いました。

TAB譜サンプル

 上図はその例で、Burt Bacharach の Raindrops keep falling on my head の出だしです。
 ギターをやっているときには、オタマジャクシのこの音は第1弦の第3フレームとか、と音符とフレームの位置対応を読み取って楽譜を読み進めていたのですが、このTAB譜では音の高さを読み解く必要が無く、第一弦から第四弦までのフレームの位置をそのまま抑え弦をつま弾けば良いので、実に簡単です。音の長さは間隔や音符記号で表されたりしますが完璧では無く、高度の楽譜では通常のオタマジャクシと併記されています。
 TAB譜があれば初見の曲も実に楽です。ただずっとそれに浸かっている今では、オタマジャクシの正規の楽譜では弾けなくなりました。読み解けないのです。
 「便利」に流されて何かを失ってしまった感じがします。今の世の中、どんどん便利になってきています。ただその一方で、漢字が書けなくなってきているように、失っているものも少なくないことでしょう。便利だけに流されずふり返ることも必要な気がします。 

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