啐啄同時

 昨日は、今年の三輪素麺の価格を神様に卜っていただく卜定祭でした。その直会では、来賓の方の挨拶があります。その中で、大神神社宮司さんの挨拶は私の知らない領域で、毎回感化を受けます。
 今年は、「啐啄同時」という言葉を絡めての挨拶でした。「啐」は、鶏の雛が卵から産まれ出ようと、卵の中から殻をつつくことを言い、「啄」は、親鳥がその音を聞きつけすかさず外から殻のその位置をついばむことを言うそうで、この絶妙なタイミングがなければ、雛の誕生はないのだそうです。
 元々は禅語のようで、悟りを開こうとしている弟子のその機が熟したとき、すかさず師が教示を与えて弟子を悟りの境地に導くことのようです。宮司さんは、雛を人に、親鳥を神様に当てはめておられましたが、こうなるともう私の範疇外です。がしかしこの言葉、しっかりとメモに納めさせていただきました。

se.gif