以前(2016.2.25)、今までで最大の素数が見つかったとのニュースに感心しました。素数は暗号化キーとして活躍するほかにも、ちょっとした問題を解くキーとしても使えます。ゴールデンウィークで頭の中を空っぽにする前に、一つ問題を解いてみてください。
沢山の人が集まったので、手元にあるパンを配ることにしました。スタッフが少なくて随分と時間が掛かりましたが、6751個という半端なパンの数が幸いして、皆さん一人一人に同じ数のパンを配り終えちょうどなくなりました。次は水のペットボトルです。こちらは 3930本と切りの良い数ですが、同様に公平に配るよう計算してみると、5本余ります。ちょうどスタッフが5名ですので、1本づついただくことにします。
さてペットボトルの配布に取りかかるとして、何人集まったのかお解りになりますでしょうか。
アマゾン vs 仏教会
先日来のちょっと興味をそそられたニュースは、アマゾンの法事への僧侶派遣サービス通称「お坊さん便」。聖域まで踏み込んで、来るところまで来たかなとの感じです。お坊さんにかかる費用は、決まっていないようで実は決まっていたり、高額であったりとの庶民感覚の隙間に入り込んできた感じです。
これに対し、全日本仏教会が反発したのは言うまでもありません。販売差し止めの要求に対し、アマゾンの回答は、「判断の参考になる情報は可能な限り提供したい」と、真っ向勝負を避けた感じ。仏教会はアメリカ本社の回答を待っている段階とか。
最近の法事は簡略化の傾向にあります。葬儀も家族層が増え極々質素になってきています。若者世代はもちろんのこと、高年齢層でも同様の傾向で、このままでは、「お坊さんは法事を司るだけ人」になってしまいます。この庶民感覚をまず払拭するのが、仏教会が取り組む最課題だと思います。
仏教は心の平穏を人に与えるもの、が私の思いです。法事に際しても、お坊さんの法話は少なくなりました。読経をし、ちょっとの世間話でお終いです。参加者が徳を持つ手助けができるよう、短い法話をすることから始められたらと思います。
ちょっと宣伝とお願い
今日はちょっと宣伝です。
サイト三輪素麺 三輪の翁・稲垣商店を更新しました。以前はワンページでスクロールせず全てを見ていただけるようにしていましたが、今回は縦長スクロールで、その点はすこし不便かもしれません。が、その分見通しが良くなったのではないかと思います。
なんと言っても今回の更新の主眼は、スマホでも見ていただけるようにすること。未だにガラケーのみの我が家でさえそう思うのですから、今や社会はスマホで動いているといってもいいでしょう。
素人作りで不備もあるでしょう。ぜひスマホで私共のサイトを見て、バグや不備な点をお知らせください。
刑事ドラマ
しばらく遠ざかっていたアマゾン・プライムビデオですが、昨夜アクセスしてみると BOSCH のセカンドシーズンが公開されていたので、3話続けて観てしまいました。
アメリカと日本の刑事ドラマは、随分と雰囲気が違います。警察の内部事情は全く知りませんが、アメリカのドラマの方が警官や上官達の人間味が出ていて、警察内部はこんなのかなと観ていて思わせてくれます。
昔、エド・マクベインの87分署が好きで、たぶんシリーズ全てを読んだと思います。そこに出てくる刑事達も人間味豊かで、特別職という雰囲気は微塵もありません。アメリカの刑事物は、この流れを受け継いでいるようです。
それに対し、日本の刑事物は、横山秀夫氏を別にして、どうも単なるドラマとの感が否めません。事件も紆余曲折はあるにせよ、誰かのひらめきですんなり解決しますし、何より受け入れられないのが、犯人に対して主人公が最後に説教じみたことを言うことです。警察官も人の子、不祥事も度々起こします。それがこのときばかりは聖人君子です。
テレビ事情も厳しいようで、脚本を練る余裕がないのかも知れませんが、経費削減はバラエティー番組だけにして、ドラマはもう少し練ってもらいたいです。
地震予知
またまた大きな地震が発生しました。死者も出、家屋の倒壊や熊本城の石垣の崩落の映像を見ると、その揺れのすさまじさと恐ろしさが想像され、被災者に哀悼の念を抱きます。
こんな時にこんな話はないかも知れませんが、「地震予知」は本当に不可能なのでしょうか? テレビ番組で、「地震予知はできますか?」との問いに「できましぇん」と即答したその道のゲラ-教授に同調して、地震予知研究学者の多くも「予知は不可能」に傾いています。
昔会社勤めの頃、地震の発生前に井戸水の中のラドン濃度が高まっていたとの研究結果が報告され、部内に一大旋風が巻き起こったことがあります。ラドンはアルファ線を出しますし、部内では放射線測定器を作っていましたので、これはビジネスチャンスと意気込んだのです。早速教授のもとに駆けつけましたが、1年も経過せずに思惑は頓挫してしまいました。
地球の営みの一つですから、なにか前兆があってもおかしくないと思うのは私だけでしょうか。「できましぇん」は、それを見つける測定が現段階ではできないということではないでしょうか。今回も断層の横ずれと判断しているように、地震のメカニズムはだいぶ分かってきました。諦めずやがて「地震予知」ができることを信じます。
ネットの危険性
しばらく前、テロ容疑者が使用していた iPhone のロック解除をめぐって、FBI vs Apple の法廷闘争があり、Apple が拒否しても他に解除の方法があることが分かり、FBI は訴訟を取り下げたことは、ちょっとした注目のニュースでした。
昨日の朝日新聞の記事では、その解除装置から取り出される情報として、よく刑事もののテレビドラマで出てくる電話やメールの発信・着信履歴はもとより、SNSのやりとり、ネットへのアクセス記録、カメラ画像とその撮影場所が挙げられています。しかも消去したものも復元されるとのこと。
これらの情報がどう使われているのか考えると、ちょっと怖くなります。おそらく上記以外に公にしてはいけない項目もあるでしょうから、プライバシーの観点から更に怖い状況です。
スマホは外を出歩く人に取っては非常に便利な道具です。でも裏に危険性があることを承知の上で使う必要がありそうです。それ以前に、ネット社会は便利であると供に危険性も多分にあることを、再認識すべきです。
縮小専用
今朝は私が重宝して使っているフリーソフトの紹介です。名前は縮小専用(※1)です。名前の通り画像の縮小のみに使用します。
普通の画像処理ソフトよりも、私の感覚ではこちらの方が見た目綺麗に仕上がります。毎週火曜日の「今朝の三輪山」の縮小に使っています。
「今朝の三輪山」ではできあがりサイズはいつも固定ですが、他の画像を縮小しようとする場合には、サイズを変更しなければなりません。変更しては元に戻す作業が面倒ですが、その点レジストリを触らないソフトは便利です。縮小専用をコピーして別ファイルに保存し、それぞれのショートカットを別名で sendto フォルダーに入れておきます。いつも決まったサイズの場合は、画像を右クリックして「送る」メニューから shukusen0 へ、他の場合には、shukusen1・・へという具合です。
できあがり画像フォーマットが jpg で良い場合には、一度試してみてください。
(※1) http://www.forest.impress.co.jp/library/software/shukusen/
ライセンス
今は、知識が少なくともホームページを自分で作ることは容易になりました。多くの情報がネットにありますし、ちょっとこったサイトを作るにも、フリーのジャバスクリプトやテンプレートが公開されています。
ただフリーと言っても、ライセンスで元ページへのリンクが義務づけられたりはしています。正直が取り柄の私は、ライセンスを守りリンクは張りますが、守っていない人も多いのではないかと思ったりもします。
果たして制作者はいかにして不正を見つけ出しているのでしょうか? 世界にあまたあるサイトを調べるのは不可能でしょう。大いに疑問です。ジャバスクリプトにコードを忍ばせることも考えられますが、見つかってしまうでしょうし、どこかの国のように信用を失ってしまいます。
おそらく、制作者はライセンスには規程はするが、守られるか否かについては頓着していないのではないでしょうか。もし仮にそうであったとしても、規程は守る。そうでなきゃ人として成り立ちませんよね。
地元バカ
子供の頃の情熱は何処へやら、野球にはとんと興味がなくなっていて、今行われている高校野球にも関心がなかったのですが、ニュースで地元奈良智辯学園が逆転サヨナラで、開校以来初めての決勝進出を果たしたしたことを知り、驚いています。
地元びいきは誰もが抱く思いで、こうなればぜひ優勝を、と、無関心転じて今日の試合に注目です。
智辯学園といえば和歌山智辯が甲子園では常連で、奈良智辯は常に天理高校の後陣でしたが、今回で奈良にも智辯ありとの認識に一役かったでしょう。
兄弟校はいくつかあり、大きな物は日大の高等部ですが、いつの時代か兄弟校同士の決勝戦が見られることでしょう。
その初対戦はぜひ智辯で!
無関心どころか、完全な地元バカですね。
前向き
何度も案内をいただくのですが出席できずにいた中学校の同窓会に、昨日出席してきました。顔は見覚えがあるのですが名前が全く出てきません。
宴席に出席いただいた先生の一人がこう挨拶をされます。
「この歳になると、病気を自慢げに話す人が多い。私は嫌いだ。何かにつけ『歳ですから』との言葉が出る。嫌いだ。そして自虐的な話し方をする。これも嫌いだ。私はこれら嫌いなことを一切口にせず、常に前向きに生きたい。皆さんもそうあって欲しい。」
その前に挨拶された先生が、終始現在置かれている病状の話でしたから、「ちょっと気まずいかも」と思いながら聞いていましたが、確かに「前向き」は歳に関係なく必要だとの話には共感です。ただ病気の話も、『歳ですから』も、自虐的な話し方も、その裏に「現状はそうだが、いやそう思われているかも知れないが、決して負けてないぞ」との情熱が隠れているとの思いがします。
私も自虐的な話し方をよくしますので先生から見れば失格ですが、「裏に何か隠れているかも」と疑ってお読みいただければありがたいです。