歴史の裏に手延べそうめん

 食は人を生かすもの。素麺もその1つである以上、人の生活に影に日向に関係してきました。


奈良時代
 索餅(むぎなわ)と呼ばれる素麺の原型が現れます。その時代大和が国の中心だったことも、当時の技術の粋が集められ麺を延ばすことができた原因かもしれません。
平安時代
 都で食べられたもの、雅なものというイメージはそのまま受け継がれます。宮中の儀式の直会や饗宴に用いられ、珍重されていました。(今の素麺が高級なものという感覚は、この当時からのものかもしれませんね。)女房言葉で「ぞろぞろ」と呼ばれていたことから考えると、すすりながら食べるぐらいの細身のうどん程度と思われます。以降三輪は長谷観音に参詣する初瀬詣でや伊勢詣での宿場町として栄えます。
鎌倉時代
 禅宗の伝来と共に中国の技術が入ってきます。それは素麺にも例外ではなく、油をつけることにより麺を細くしたり、挽き臼によって細かく製粉でき結果グルテンの熟成が良くなり、より細くても腰の強い麺ができるようになってきました。麺が今の素麺となります。
南北朝時代
 中国の影響は名称にも及びます。字は素麺(スーミエヌ)という中国語そのままの字を使い、呼び方もこれがなまって「ソーメン」と呼ぶようになります。この時やっと索餅(むぎなわ)から素麺(そうめん)になりました。ふう。
江戸時代
 江戸時代になって伊勢信仰が盛んになります。その街道筋にあたる三輪の賑わいはたいそうなもので、当時の紀行文からは茶屋がたくさんの女性を抱えて盛んに客を呼び込んでいた様子がうかがえます。旅人が参詣の道すがら大和名物・三輪素麺を食べ、三輪で素麺の技術を学んで各地へ持ち帰ります。それらが播州であり、小豆島です。西に広がった製法はやがて大阪から江戸に運ばれ、遠くは秋田の稲庭うどんにも影響を与えたといいます。

『日本山海名物図会』
大和三輪素麺名物なり
細きこと糸のごとく白きこと雪のごとし
ゆでてふとらず、全国より出づる素麺の及ぶところにあらず・・・・・(中略)・・・・・
旅人をとむる旅籠屋にも名物なりとて素麺にてもてなすなり